第二回 あると便利な世界観1(キャラクターの立つ世界)

人によっては大変懐かしいご挨拶ですが。

初めての方ははじめまして、そうでない方はこんにちは、骨董屋佐竹でございます。
骨董屋佐竹の創作四方山話、二回目です。

今回は予告通り『世界観』についてです。

さて皆様、物語における『世界観』というものをどう認識しておられますでしょうか?
世界観というものは、そのものズバリ『キャラクターの存在する世界』でございます。

人によっちゃ『箱』とも申しますね。

これは『箱庭』という概念から生じたものかなぁと思われます。
当たり前ですが、キャラクターは彼らの存在する世界で生きております。
私たちも同様ですが、世界とは生物が作り出した歴史であり、文化であり、該当する生物の常識非常識であり、認識であります。

そこにいるキャラクターはどのような自然のある大地に立ってるのか?
その大地はどのような歴史を持ち、文化が育ち、根付いているのか?
どのような家系が繋がっていて今のキャラクターが存在するか?
その家系の慣習とは何か?
親兄弟は主人公にどのような影響を与えているか?

とても大事なことですよね。

このように、世界観は彼らキャラクターのリアリティ(現実感)に直結します。
特に世界観も無く宙に浮いた状態の彼らがいくら動いたところで、ふわふわしてとても頼りないでしょう。

どうして主人公たる彼らがこのような目的意識を持つのか?
その背景とは何か?
その認識はどこからくるのか?
彼らの信仰とは何か?
常識とは何か?

それが彼らの『世界観』です。

私達の常識であり現実とは違うかも知れませんが、彼らの『現実』であり『真実』です。
現実の私達が話を読む際に感じる違和感と、それでも没入できるほどの彼らの現実感。
読者をキャラクターといっしょに動いているように錯覚させるほど共通認識まで落とし込む事で、自分たちが感じる違和感を楽しみ、現実世界から逸脱することが出来る。
それが多分『世界観』の『世界観』たる魅力であり、ファンタジーの醍醐味です。

この考え方は、漫画や小説の執筆以外にゲーム作成にも大いに役立ちます。
というか、ゲームにこそ『世界観』の考え方は結構大切なんじゃないでしょうかと個人的には思っています。
実は昔から、ここらへんのせめぎ合いはゲーム業界の課題の一つでした。
元々ゲームというものは、単純に言ってしまえば『ルールの中で競う』という遊びです。
名だたるボードゲームやサイコロなどの非電源ゲーム、現在主流の機械を使って行う電源ゲームも根本は変わりありません。
ルールが成立すればゲームは遊べます。
本来設定など必要ありません。
カードやサイコロなどのゲームを見れば、特に必要が無いことは分かると思います。

では、何故必要の無い『世界感』を付けるるようになったのでしょうか?
答えの一端は、ルールにカタルシス(感情移入をすることにより抑圧が解放される事)による快感を加えるためでしょう。
『世界観』を加えることによりゲーム世界への没入感が増し、更に楽しさが増します。
『世界観』は、ルールに人をノせるための最高のフレーバーだったのです。

その後世界観を載せたボードゲーム等がどんどん作られるようになり、進化を遂げます。
その後人間の頭が行っていたルールの処理をを代行するコンピューターゲームも例外ではなくその流れをくむことになります。
「でも黎明期のコンピューターゲームにはそんなものなかったよ」とおっしゃる方も多いかも知れません。

ところがどっこい。

あるのです。

黎明期に初めて作られようとしたゲームは、『コンピューター』に『チェス』をさせようとしておりました。
チェスや将棋や囲碁などは元々は模擬戦で『戦争』という設定がついております。
それ以外にも、ボードゲームにはあらかじめ『設定』が付与されている事が多い。

たとえば、ご存じボードゲームの代表格である人生ゲームには『これは人生である』という設定がついておりますでしょう。
もうおわかりだと思いますが、機械とのチェスというのは人類対機械の対峙という『設定』であり、機械の進化を感じさせる燃えるシチュエーションであります。
更に言うなら、次に作られた有名なpingpongというコンピューターゲーム。

そのものズバリ『テーブルテニス』です。
模して作られることにより、頭の中に光景を想像させます。
どんどんコンピューターは進化しても『世界観が人間に想像させ興奮を与えていく』という効果はエンターテインメントとして当然のように組み込まれていくことになりました。

ロジカルにゲームを作成する方々が時々陥りがちな罠として『世界観など必要ない、プログラムだけあれば良い』という考え方が未だに根強いのですが、ユーザーを乗せる為の器として世界観はやっぱり重要だと考えます。
ここで戻りますが、ユーザーというのは私たち『ゲームをやる人』であり、そのゲームの世界観に登場するキャラクターです。
ユーザー(キャラクター)が没入して楽しめなければゲーム(世界)は成り立たない。
想像を起爆させるための装置が、モロに世界観というものなわけです。

そう考えると、希求する所ってゲームも漫画も小説も似たような場所にあります。
世界観はキャラクター(ユーザー)を地面にしっかり接地させるための大地。
そこにゲームの場合はユーザー、漫画や小説や演劇ドラマは更にいっしょに行動できる魅力的な登場人物を置くことにより、読者は想像力を刺激され現実を忘れて没入を楽しめるようになるのです。
とくにファンタジーの場合は、世界観を作るのは正直物凄く大変ですが楽しいですよ?

大まかな成り立ちから細かい所、たとえば職業衣服単位から歴史宗教まで全て自分の考えた世界に、ユーザー(読者)という登場人物が増えていく感覚。
制作者にしか中々できない贅沢な遊びです。
作るのも没するのも大好きな人間としては、是非素敵な世界観を提供できる方々が自分も含めて沢山増え、作者様読者様共々WINWINの関係を構築していただきたいと思います!

では次回、『世界観』第二回として触りだけやった『ファンタジー世界の話』をちと詳細にやって参りましょう。
また見てくだされば幸いです。
骨董屋佐竹でした。