第5回 雪の中、真夏の物語をつくる「日記の魔法」

寒さで凍えそうな雪の降る夜、わたしは拙作「フィアンセは猫である」の執筆を進めていた。しかし、次第にタイピングが遅くなり、その手の動きは止まる。それは冷えきった部屋でかじかんだ手のせいではなく、その時書いていた物語「フィア猫」の背景に起因していた。
「フィア猫」の舞台は、太陽がギラギラと殺人的な暑さで世界を支配している真夏の設定。それに引き換え、作者であるわたしは冬の厳しい寒さの中にいた。そのギャップから、うまく物語の世界に入り込むことが出来ず、執筆は難航していたのだった。

日記帳でタイムスリップ

寒さに震えながら、夏を想う。しかしただ頭の中で想像するだけでは、物語に夏らしさを得ることが出来なかった。そこでわたしが思い付いたのが、書き溜めていた日記の存在だった。わたしには毎日ではないけれど日記を書く習慣があったので、過去に書いた日記帳を引っ張り出して読み返した。そこには特に変わったことが書いてあるわけではない。

普段の日常の出来事や、その時思ったことなどをつらつらと書き連ねているだけだ。8月に書いた日記だからといって、小説のように夏の描写を意識して織り交ぜたりはしていない。それでも、夏のページを開けば当時の感情がありありと蘇ってきて、簡単にタイムスリップすることが出来る。夏の気分で物語と向かい合うことで、リアルに近い感覚をそこに投影する。これは、物語にリアリティという説得力を持たせるための大切な要素であるとわたしは考える。

リアリティのある物語は得をする

ファンタジーやSFなど、ジャンルによってはリアリティは一見必要なさそうに思えるかもしれないが、そういったジャンルにこそリアリティは強く持たせてあげたい。この場合のリアリティは「臨場感」と言い換えるとしっくりくるかもしれない。現実とかけ離れた世界だからこそ、身近に感じられる部分がないと物語に入り込むのは難しい。

リアリティをどこまで出すのかは個人の好みだ。しかし、全くリアリティがない物語に触れて、わたしたち読者はどこに、何にリンクすれば良いのだろうか。リアリティとは、物語と現実を繋ぐ橋渡し的存在だ。キャラクターの言動でも情景描写でも、それらを想像する補佐的役割をしてくれるのがリアリティだとわたしは思う。
リアリティのある物語は読者に「伝わる」という点において、得をしているのではないだろうか。物語にシンクロしてもらうためには、どんな形にせよリアリティは必要不可欠なのだ。

なぜ、日記はリアリティを生み出すのか

リアルな表現をするためには、日記を読み返すべし。それが今回のわたしの意見だが、ではなぜ日記なのだろうか。そこには、日記の持つ特性が関係している。

日記は、その時の自分の想いや起こった出来事などを書いておくのが一般的だ。日記には、当時のリアルな想いが溢れている。それを読み返すことでわたしたちは当時の出来事を追体験し、様々な状況や感情に近付くことが出来る。想像するだけではわからない想いを反芻し、物語に反映させることでリアリティを生み出すのだ。
そして、もうひとつ大切なこと。それは、物語の「主人公」「読者」「作者」といった3つの役割を日記を通して体験出来るということだ。

日記を通して見つめる三人のわたし

日記に書かれている内容は「主人公」であるわたし、それを読み返すのは「読者」であるわたし、更にそれを過去に書いたのは「作者」であるわたし。といった風に、それぞれの立場を俯瞰で見つめてみる。「主人公」が実際にした言動、そこから読み取った内容を「読者」は受け、「作者」が何を伝えたかったのかを考える。国語のテストでこのような設問と対峙すると、思考をフル回転して答えを導き出すと思うが、これが日記だとしたらどうだろうか。

「主人公」「読者」「作者」は同じ人物、つまりわたし自身なのだから、それぞれの意図もぐんと汲み取りやすいはずだ。わたし自身が、時間軸の異なる位置に三人に分かれて存在していると考えてみよう。「主人公」でも「読者」でも「作者」でもないわたし。つまり感情移入をし過ぎない「他者」の視点が生じる。「他者」の視点から見つめたわたし自身。それは自分自身から離れて、もう立派な物語の1ピース、創作に使えるコマとなる。

実体験には説得力がある

過去の自身の想いに触れることで当時の感情を揺り戻し、そこから物語を紡いでみる。それはまさに、自分自身から湧き出るリアリティをもとに物語を生み出すという作業ではないだろうか。そうして生み出された感情や表現は、すべてを想像だけで作ったものより遥かにリアルなはずである。リアリティのある物語は、そういった裏付けがしっかりとあるため説得力を増し、物語の魅力を更に高めることに繋がるだろう。

三日坊主でも日記を書こう

ここまで創作における日記活用の素晴らしさを書いてきたが、ところで、あなたは日記を書いているだろうか。書こうと思っても、三日坊主でなかなか続かない。そんな人もいるのではないだろうか。しかし、わたしは声を大にして言いたい。例え三日坊主だとしても、日記は書くべきである。

今回紹介したように後々の物語制作に役立つかもしれないというのも理由のひとつ。しかし何より、毎日自分に起こった出来事を咀嚼して文章に残すという行為は、自身の人生をより深く幅広くさせるものだと思う。少なくとも、ただなんとなく毎日を過ごして一日を終わらせることの連続よりは、よっぽど創作向きな行為だ。日記が続かない人は、日記に対する意識の向け方、目的の持ち方を誤っているのだと推測する。なんとなく日記を書こうと思って書き始めるだけでは、そりゃあ三日坊主になって当然だろう。

何の為に日記を書くのか。それを意識して目的をきちんと頭に入れておけば、日記は必然として続いていくことだろう。そして、例え三日坊主で終わってしまったとしても、悲観せずにその三日間の日記を残しておいて欲しい。その日記は今後の創作の上で、貴重な参考資料となるかもしれない可能性を秘めているのだ。そして、また気が向いた時に日記を書いてみれば良い。

日記はただの黒歴史ではない!

ちりも積もれば山となる。少しずつでも日記を書くことは、今後の創作活動への投資だと思おう。そして、事実は小説より奇なり。自分自身の体験を記した日記は、手っ取り早く物語にリアリティを齎してくれる、創作参考書として大切に保管しておくことをオススメする。黒歴史だ、などと言って捨ててしまっては勿体無い。利用出来るものはどんどん利用して、今後の創作ライフを共に楽しんでいこうではないか。