物語から生まれるキャラクター、キャラクターから生まれる物語。

わたしはWEB文芸誌「窓辺」というWEBを中心に活動する文芸誌の編集長を務めている。「窓辺」はどちらかと言えば純文学系の文章が多いので、いわゆるキャラクター小説とはあまり縁がないと思われがちだ。しかし、キャラクター設定とは創作の根本だとわたしは思っている。

物語に欠かせない要素はなんだろう。ストーリーも描写も勿論手抜きは出来ないけれど、一番力を入れるべきなのはキャラクターだとわたしは思う。物語を作る際、わたしはキャラクター作成を最も重要視している。キャラクターは物語の肝である。キャラクターをより深く描写出来れば、自然と作品自体にも奥行きが生まれる。

そう考えているわたしだが、普段キャラクター小説と呼ばれる類のものはあまり書かない。キャラクターの設定を作り込んでも、それを表面には出さずに全体の世界観を見せる手法をメインとしている。物語への自身の理解をより深めるためにキャラクター作成をしている、と言ってもいいかもしれない。唯一書いたことがあるキャラクター小説が『フィアンセは猫である』(以下、『フィア猫』とする)というライトノベルだ。内容は、突然現れた婚約者を名乗る女の子が主人公の飼い猫と合体してしまうというストーリー。ジャンルはラブコメに分類される。有難いことに完売した作品である。

この連載では『フィア猫』を書いた経験をもとに体感したキャラクター作りについて、わたしなりの工夫した点を10回に渡ってお伝えしていく。小説を書く人以外でも、創作においてキャラクター作成をする全ての人にとって有益な情報を提供したいと考えている。わたしが『フィア猫』を生み出す際に工夫したことが、あなたの創作の一助となれば幸いだ。そしてこの機会に「窓辺」の笠原小百合という名前を記憶のどこかに留めて下さるととても嬉しい。

それではまず、キャラクターの生まれ方について『フィア猫』を例に書いていきたい。

キャラクターの生まれ方は人それぞれだと思うが、わたしが『フィア猫』に登場するキャラクターたちを思い付いたのは、物語の冒頭が思い浮かんでからだった。その冒頭からヒントを得て、更に物語を広げるためにはどんなキャラクターが必要かを考え、そうして『フィア猫』のキャラクターたちは生まれた。物語をより盛り上げるためのキャラクター作成と言ってもいいだろう。これを物語先行型とする。わたしの創作スタイルは常に物語先行型で、物語が浮かんでからキャラクターを生み出す手法をとっている。

「だから、僕は夏が嫌いだ。」

この一文からはじまる物語が書きたくて『フィア猫』は生まれた。もう少し詳しく説明すると、この冒頭の一文の主語は「僕」でなければならなかった。「私」や「俺」ではしっくりこなかったのだ。どうしてもこの一文は「僕」にしたかった。そうなると物語は一人称の「僕」で進むこととなり、必然的に主人公は男の子となった。また、物語に無理が生じないように、自分のことを「僕」と呼んでも違和感のないような性格を考えた。そうして、主人公の松久直晃(まつひさなおあき)が生まれた。

次に、『フィア猫』はいわゆるハーレム系ライトノベルにしたかったので、女の子のキャラクターを考えた。ヒロインとなる婚約者を名乗る女の子、それと対立する女の子、あともうひとり居ると華が添えられるだろう。しかし、キャラクターは増えれば増えるだけ書き分けも物語進行も難しくなる。はじめてのキャラクター小説執筆で無理はしたくなかったので、主要キャラクターはなるべく最小限に絞ることにした。華を添える役は主人公の妹という設定にして、主人公の恋愛対象には入れない。それだけでもだいぶ書きやすくなった気がする。その代わり、妹の想い人という新たな男性キャラクターを登場させることにした。

大体の立ち位置が決まったところで、それに合った設定を考える。対立する女の子を従姉妹にすると思い付いたところで、妹の想い人を従兄弟に設定し、夏休みに従兄妹の家へ泊まりに行った際のドタバタ劇にしようと思い付いた。そこから、更にキャラクターを肉付けしていく。性格、外見、好き嫌い、肩書、座右の銘など、思い付く限りに書き出してまとめていく。こうして『フィア猫』に登場するキャラクターたちは生み出された。いや、作り出されたと言ったほうが適切かもしれない。わたしにとってキャラクター作成とは、物語を盛り上げるために計算しつくされた設定を作り上げていく作業なのである。

中には、描きたいキャラクターがいてそれに合った物語を作る人もいるだろう。それもまた正解だとわたしは思う。物語先行型に対して、こちらはキャラクター先行型と言える。キャラクターが次々と自然発生的に作れる人は、本当に羨ましいとしか言いようがない。わたしたち現実世界の人間だって、それぞれが持つキャラクターは誰かの手によって作り出されたわけではない。性格や環境など様々な要因が関係し、自然と出来上がったキャラクターなのだ。それを全部説明付けてしまうより、ありのままを受け止められるのであれば、そのほうが自由で魅力的なキャラクターが誕生するに違いない。計算だけでは生じることのない人間らしさは、キャラクター先行型の強みなのだ。

もう一歩踏み込んで書いておくと、どうやって生まれたかによってキャラクターの性質は異なる。物語先行型の場合は、どこか説明くさかったり型にはまりすぎていたりする傾向がある。作者にとって都合のいい人物像になりがちだ。物語に合ったキャラクターを作るということは、そのキャラクターの可能性を狭めてしまうこともある。自分で決めた枠に囚われ過ぎてしまうと、キャラクターの良さを引き出し切れないので注意が必要だ。おりこうさんなキャラクターたちの都合の良い物語は、作品として優等生とは言えないだろう。それとは反対にキャラクター先行型の場合は、キャラクターをうまく描き出すために物語の器を大きくしておかなければならない。また、生まれたキャラクターの特性をあれもこれもと物語に詰め込みすぎになる傾向があるように思う。それを一気にやってしまうと妙に説明臭くなってしまったりするので、こちらも気をつけたい。折角生まれたキャラクターを生かしきるためには、さり気なさとバランスが大切だ。

わたしが言いたいのは、どちらにせよ陥りやすい罠はあるということだ。その罠に掛からないようにするには、自分の創作スタイルが物語先行型かキャラクター先行型かを理解しておく必要がある。作品をより良くするため、どこに力を入れるべきなのかがわかりやすくなるからだ。また、生まれたキャラクターをきちんと育てていくことが何より大切である。どちらのスタイルで生まれたキャラクターにも言えることだが、愛情を込めて丁寧に育てなければキャラクターは物語の中で生きてこない。いくら設定が面白く魅力的でも、物語の中でそれを生かしきれなければ意味がない。物語とキャラクターがうまくリンクしてこそ、その作品は光り輝くものとなるだろう。

次回からは、実際にわたしがどういった工夫をしてキャラクターを育てたのかについて書いていこう。しがない物書きのキャラクター論が、あなたの創作のヒントとなりますように。