技と術ってどう違うんだろう

『技術という言葉をよく聞きますが』

技術という言葉の解釈を、このまえ改めて考える機会がありました。コンピューターゲームをプレイしているときなのですが、『技』は『スキル(skill)』なんですよね。剣を使うスキルは、つまり『剣技』になるわけです。じゃあ技術という言葉が表す通り、技につきものであると考えられている『術』は、いったいなんなんだろう。剣を使う術、つまり『剣術』につながる何か面白い発見があるのではないか。そう思いました。

『技ってなんだろう』

相手や物に仕掛ける一定の型の動作として認識されていますが、これは手本など、見てわかるものに多いように感じられます。剣技であれば、たとえば『ツバメ返し』『合撃』『面打ち』『小手打ち』、柔道ならば『背負い投げ』『大外刈り』『内股』など。
技というものは、一定の動作。技の名前は、その一定の動作につけられた名前ということになります。そこにあるのは、おおまかな、そしてこまやかな、端的な流れであり、名前が付けられていないものにもまた、つけるのならば適切なものが与えられるはずでしょう。

『術ってなんだろう』

ゲームにおいても『術』なんていうと、魔術とか忍術とか、見ても理屈がわからないものに多いような気がしました。魔法の『ファイアーボール』なんて言われてもどうやっていいものかわかりませんし、動きだけ真似してもできるものじゃありません。忍術も『分身の術』なんて言われても、早く動くのか、はたまた気配そのものをいくつも作り上げるのか、もともと複数人で混乱させるのか、ま~ったくわかったものじゃありません。

術というものは、そんな見えない理屈に多いような気がしました。

『じゃあ剣術って?』

剣先に勢い(刀勢)や、強靭な太刀筋を乗せる術。脱力することで出す全力という、矛盾しそうな理屈。基本はそのような、見てわからないものを体得するために研鑽された系統だったものが、剣術であると考えます。
抜刀術であるならば、抜刀する動作(技)をことさらに良く見せようと宣伝し始めてしまったら、術ではなくなるわけです。抜いて見せればよいのですから、どのような理屈のもとに抜くかなどということは、邪魔になるわけです。

このあたりにも、剣術衰退の一端が見えてくる気がいたします。

『剣技とは?』

剣における技とは、術に支えられた一定の動きです。術が持つベクトルが状況状況で、とある一定した動きとして発揮された現象です。

術が支えて初めて現れる動きが技であり、技の上辺や見た目だけを真似しても、なかなか術に至ることは難しいものです。らしく見えていれば本質に至っていないことが原因の失敗についても、何か他のモノが悪いと責任を擦り付けやく、都合がよくなります。わかりやすい上辺の、見えやすい理由をどんどん伸ばすことでしか技を支えられなくなると、形骸化の一途をたどる羽目になります。

『技術という言葉』

だからこそ、技術という言葉は技と術を組み合わせて生まれたのだろうと思うと、なんか面白いなと。いや、もともと技も術も不可分のものとして在ったからこそ『技術』という言葉が生まれたのでしょう。

この見えるものと見えないものが生み出す結果こそ、大事なのだと痛感します。
技を見て術に至るためには、やはり常に疑問に思うことが大事なのかもしれません。本当に正しいのだろうか。本当に悪いのだろうか。場合によっては正しくも悪くもなるのではないだろうか。はたして。などなど……。

『上辺だけをなぞると失敗する』

術をおろそかにすると、技においても失敗するというのは先述の通りですが、僕ら創作に携わる者として陥りがちな問題も、じつはこのあたりにあったりもします。 たとえば、『ラノベ』『純文学』という言葉、カテゴリー。ラノベとは何か、純文学とは何か。そこに芯となる術があって、たまたま形となって表れた技、またはあらわそうと思ってあらわした技。その結果が、ラノベであったり純文学であったりする作品です。

当然、ラノベの上っ面だけ、純文学の上っ面だけを真似して「それっぽい何か」を書いたとしても、それっぽい何かにすらなっていない何かでしかないわけです。たまたまはまることはあっても、そこに技術はないわけです(作品や文章そのものを仕上げる技術については別の問題です)。

『僕のしてきた失敗』

ラノベは中二病、設定凝りに凝れば面白さにつながるはず!
と、六年近く前に一気に楽しく書き上げた長編小説作品があります。僕はラノベの上っ面だけ見て、知った気になっていたのでしょう。作品自体は書きなれたところと勢いで補ったところがうまく相俟って、自分が書くいつもの作品のようなものが仕上がりました。

しかし、思い返すとラノベっぽい何かであって、ラノベではないのです。文体も硬軟あやふやな、読者の年齢層をよくわかってもいない伝奇小説でした。あれは見誤りました。でも作品は面白いですけどね?(商品的に売りがどうあるかの問題で……という言い訳)

要は、ラノベというものの本質を知らないことを、設定や小難しい理屈を並べることで補おうとして、それっぽい何かを作ってしまったというわけです。キャラを支える設定ではなく、設定を支える(語るだけの)キャラになっていました。

本末転倒です。

あの話を語るなら、もう少しキャラの配置は変わったでしょうし、外連味ももっと面白く出せたはずです。
次に必ず活かします。

『技術は考えてこそ』

とりわけこの考えてこなすことを重ねて培うものが技術である、という結論に達するわけですが、よ~く考えたらいまさら何を言っているのだと怒られそうです。

技とは術に支えられたもの。
術は技によって明らかになるもの。

表と裏であり、影と日向であり、同じ一面なのでしょう。
言葉なども同じ。結局はその状況下において、発言者の中の本質(術)がどのように発露したのか、です。
剣を振ってる僕なんかより、考えてみたら営業職やお客さん相手の商売をしている人なんかは、実戦経験豊富ってものじゃないですよね。
そりゃあ対人関係で疲れますよ、その手の達人ほど。 なもんで、そのあたりを意識せずにテキトーに捌くこともまた、やっぱり『技術』だったりするのでしょうね。うん、こら面白い。