作品を仕上げることの意味

昨年、プロゲーマーの梅原大吾さんが『1日ひとつだけ、強くなる。』という著書を中経出版から発売したのですが、その中で面白く興味深い言葉を記していたので、少し引用という形で紹介したいと思います。

――以下引用。

たとえば、文章がうまくなりたい、という人がいて、人に読んでもらいたいがために、旬の話題で誰でも興味をもってくれるものを書いたとしたら、読んでもらえますよね。これはそのときは「勝ち」なのかもしれない。でも、その旬が終わった時にお前何書くの?となったら、何も書けなくなってしまうわけです。

――ここまで引用。

これを読んだときに、「勝ち続ける≒書き続ける」にはどうしたら良いのだろうか、自分は深く考えていたのかどうかと、ハっとさせられました。
ここでは最近の流行であるWEB小説からの商業文庫化の流れと、その発表の場となるWEBサイトに焦点を合わせたいと思います。 WEB小説から商業文庫化の流れは、端的に表すと、次のようになります。

『発表→お気に入りや評価でポイントを獲得する→獲得ポイントが多いものを出版社がピックアップして文庫化する』

面白いものや、流行のもの。そして毎日更新、頻繁な更新をするなど、WEBサイト内で目に付く機会を増やすなど、たとえ作品自体が完結していなくても、作品の『評価』が『ポイント』として表され、アクセス数でもある『PV(閲覧ページ総数)』や、実際に見に来ている人数の指針でもある『ユニーク数』などから、そのもの語りを楽しんでいる人たちがおおよそ想像出来てしまうような作りになっています。

つまり、『ポイント獲得のテクニックと、掲載するWEBサイトの特色を掴んである程度の頻度で書くことが出来ること』が、『優れていること』となります(なっています)。

現状、上手くポイントを跳ね上げることが出来た作品があったとしても、それが終わったときに、「では次の面白い作品を」となったときに、はたして、そもそもの作品を書くスキルがあるかどうか。
なかなか次の作品の企画を考えつかない方も多く、苦労しているのをよく見かけます。なかには「まずはWEBサイトで数話連載して反応を見てから」などと、自己評価を他人に任せすぎる方や、「またポイントを多く取った作品が生み出せたらまた仕事をしましょう」と、『組み上げて書くスキル』が無い人をあっさり斬り捨てる出版もあったりします。

しかし当然、漁場にはまだまだ次から次に『高ポイント作品』が無料で湧き出していますので、竿を傾ける方としては低リスクで次に進めてしまうので、今というこのサイクルは、書き手にとってひじょうに厳しいものと言えます。

ここで話をもとに戻します。

流行でポイントを取って勝ちを収めても、そもそもの自分の真ん中に書き手としての芯の強さが無ければ、次に進むことは出来ないわけです。書き続けることは、完結させた作品を数積み上げてこなしていくことに他なりません。
パッケージとして組み上げる力が必要だと感じたときに、作品を組み上げる力が自分にあるかどうか、僕はプロゲーマー梅原大吾さんのこの言葉を読んだとき、改めてハッとしました。

さて、そこで僕は、掌編であれ短編であれ中編であれ長編であれ、しっかりと完結させるスキルが自分に備わっているのか、じっくりと考えてみました。重ねて、それを面白く組み上げられるかどうかの自信があるのかも、しっかり説明出来る程度に把握しているか確認しました。

自分なりの話の書き方組み上げ方完結のさせ方、その他諸々。
掌編の書き方、短編の書き方、中長編の書き方。
自由闊達にあっても、しっかりと魅力的で必要不可欠なキャラクターが配置出来るかどうか。

作品を仕上げることの意味とは、物語の閉じ方を覚えることに繋がり、閉じた物語を見直して自分の作品の持ち味や強みを楽しみ、次にこうしよう、ああしよう、といったものを確認し、自分を自分の思う方向へ矯正していかないといけません。他人からの評価だけで自分の価値評価を決めてしまわずに、自分はけっこう凄いんだなあと思えるようにモチベーションを高めていくことが大切だと思います。

その都度その都度、真剣勝負の作品ですが、それすらも次に続けるための秀作として、ひとつひとつ考えて書き上げることが大事だと思います。
書き上げることひとつとっても、完結作品を造り出した数を重ねることが上手くなることには必ずしも繋がらないことを知り、一作一作について「良いと思っていたことは本当に良いのか」「悪いと思ってたことは本当に悪いのか」常に考えて書き、書き終え、次に活かすことが大事だと思います。

数十の面白い未完作よりも、ひとつの凡庸な完結作品が優れている点は、まさにそこにあるからです。
他人の評価を気にするあまり、他人の評価基準に『書かされている』のか。 他人の評価基準を意識し、尚かつ自分の真ん中にある技術や評価基準で以て、唸らせるものを『書いている』のか。

ゴテゴテと重いものを自分の外側にくっつけて、説明もつけられずに吸収して己が力に出来ないでいると、バランスも悪く、容易く正中線を崩されてしまいます。やはり自分の真ん中に揺るぎようもないネバリと重みを生み出すべく、急がず止まらず、武術の素振りや形のように一作品一作品を丁寧に組み上げて閉じていく、完結させていくことが、基本なんでしょう。

さて、完結させた作品、いくつありますか?

完結を視野にしっかりと入れて、完結させてもいくらでも続きが書ける技を持ってる人や、どんなに広げた風呂敷でも思いのままに面白く閉じる技を持ってる人も、世の中には本当に凄い人たちがいます。その人たちの組み方の技も、自分自身の中に『書き上げる力』がないと、まったく読み解けず、ただ「面白いなあ、すごいなあ」としか思えません。

僕の未熟の表れなんですが、いざ分析しようと構えても、分析しようとしすぎて物語のファーストインプレッションが大変つまらない物になってしまい、後悔したことも多々。今でもそんな失敗をしてしまう在り様です。
自由自在天然自若と作品を楽しむのが大事ですか、考えすぎる時期になってしまったと思ったら思い切り遊んで頭をリセットしたりします。いやほんと難しいですね。

ともあれこのあたりは、ぜひ仲間内で各々の『完結させた作品』を肴に、いろいろと語り合うのも面白いかと思います。思いがけない発見もあったりしますので、ぜひ実りあるベクトルを持つという一点を念頭に、雑談してみることをオススメします。